アメリカでの生活を手に入れる!
みなさん、こんにちは!
朝起きて散歩に出かけ、溢れる太陽の陽ざしを浴びながら、「私は何て恵まれているの!」と心からの感謝から始まる日は何て素晴らしいのでしょう。
日本ではやはり無理をしていたのかもしれません。ポジティブで幸せなマインドでいるためには、どこかで努力や妥協をしていたのでしょう。喜びや幸福を感じなければと、そうでなければいけないのだと、不自然に求め続けてきました。そんなところに私の求めていたものはなかった。今は少しずつ分かってきたような気がします。
私は今カリフォルニアのサンディエゴで暮らしています。子供の頃から海外への関心が強く、大学も外国語大学に進学しましたし、留学もしました。商社時代は月の半分は世界を飛び回り、いつか海外に住むことが夢というよりも、然るべき当然のことのように感じてきました。
そしてシンガポール人の夫と出会い、なんと日本に住まいを構えることになったのです。横浜でマイホームを購入するなんて誰が想像したでしょうか。どうしても自分の土地と家を購入したい夫に折れる形で持った自宅。しかし、この場所で一生住むなんてどうしても考えられませんでした。私にとって一つの場所に縛られることは、大きな自由を失うようでとても怖かったのです。
閉塞感を感じながら子育てで精一杯の毎日。いつか海外で住みたいという夢も幻のようにどこか彼方に消え去ってしまいました。先の見えない子育て。誰かのために何かをしなければと、するべきことに囚われたロボットのような生活に焦りばかりを募らせ、どこか心あらずで淡々と生きてきました。私って何なの?私は一体何をしたいの?私って幸せなの?悶々とした気持ちから、心理学やNLPなどの学びやスピリチュアルにも興味を持った時期でした。
本当にこのままでいいの?
そんな気持ちを察したのか、次第に夫が環境を変えたいと言い出したのです。
日本は嫌いではないのですが、日本での働き方や立ち回り方がシンガポール人の彼にとっては窮屈に感じたのでしょう。40代も半ば。最後にどうしてももう一度チャレンジしたいとアメリカでの転職活動を始めたのです。
しかし、トランプ政権では、就労ビザのスポンサーを獲得することも簡単ではなく、どれほど履歴書を送ろうと返信すらもらえない日々。そうこうするうちに世界中でコロナが蔓延し、海外就職など言ってはいられない事態になってしまいました。こうして3年、5年はあっという間に過ぎてしまったのです。
それでも私には、必ずアメリカに行くだろうというどこか確信に近い絶対的なものがありました。なんの根拠もない確信と言ったところでしょうか。焦らずとも必ずベストなタイミングで物事は訪れるのだと。逆にいうと、タイミングでないものは、どんなに頑張ろうと、どんなにもがこうと来ないものは来ないのです。
私のキャリアや能力では、アメリカでの転職の可能性はゼロに近く、私にできることは、ただただベストな状態を想像し、妄想しながらご機嫌に暮らし、焦る夫を笑い飛ばし、必ずその時は訪れると信じ切ることでした。
引き寄せや願望実現といいますが、今回のことで少し分かったような気がします。望みを叶える上でとても大切なこと。祈りにも通ずるのだと思うのですが、『誰かのために純粋に心から願った願いは叶う』ということです。
私がどうこうしたいというのは脇に置き、実際に努力をし続けている夫を見てきて、純粋な気持ちが生まれた瞬間がありました。
『夫の頑張りにどうか報いてください。』
私の気持ちに変化があった日のその翌日、物事が一気に動き始めたのです。
転職活動から5年は経っていたでしょうか。階段を転げ落ちるように降りてきた夫の一声。
「一次面接に受かったよ!」あの彼の感激に満ちた表情は忘れられません。そしてその一週間後、ようやく今の会社から採用通知を頂いたのです。そして、そこからはジェットコースターのように早かった。半年はかかると思っていたビザは、2週間もせずに下りました。
そして今、私はここにいます。
何よりも最後までコツコツと頑張りぬいた夫に感謝です。私にはどんなに頑張ってもできないことでした。私は私の夢を夫に託したのです。頑なな岩のように何をしても上手くいかなかった硬直の日々。それでも信じ切ることです。できると思ったらできる。夢は思った瞬間に叶っているのです。そして、ベストなタイミングでそれはやってきます。それまでは、焦ることなく、なるようになるのよとお気楽に暮らすことかもしれません。人生は意味があるようで意味なんてなく、意味を求めるものでもなく、何をしてどう生きるかも真っ白で、どんな色を塗っても、消しても、混ぜてもあなた次第。ただただ楽しめばいいのですから。
ありがとう、ありがとう。
感謝だけは忘れずに。
読んでいただきありがとうございます。
Have a great day!