サンディエゴより♡私が私らしく、あなたがあなたらしく

自然体で気まま♡私が私らしくいることが一番大切です。

発達障害は障害?個性?

みなさま、こんにちは。

今日もサンディエゴは暑いです。こちらに来てから三週間。雨が降ったのはたった一日でそれもにわか雨。この先一週間の天気予報も晴ればかり。そろそろ雨が恋しいです。

 

夏休みも終盤。再来週にはいよいよ小学校もスタートです。ですが、実はまだ我が家の子供たちの学校の申し込みは済ませていません。早く済ませて安心したい気持ちは山々ですが、なんせ学校のオフィスも長い夏休み。今日ようやく担当者から返事があり、来週にアポイントメントを取ることができました。

 

学校への申込書には、子供たちの性格や状況などを細かく記載するアンケートがあります。我が家の長男は、3歳の時に自閉症スペクトラムと診断をされています。就学前は、民間の療育センターに週に2回ほど通っておりました。言葉も遅く、手先や身体の動かし方もぎこちなく、また、社会性も未発達と診断されていたので、様々なタイプの療育を受けてきました。療育は、本人はもちろん母としての私の安心材料にもなっていた気がします。

 

それでも小学校は通常級に通いました。人それぞれ考え方は様々ですし、自閉症発達障害といえど個性の一つなので、何一つとっても誰かと同じということはありません。私たち夫婦は、長男には多少困難があったとしても、多様性を体験させたくて通常級に通うことに拘ってきました。

 

彼の個性を理解してくれる特別級で彼に合ったサポートを受けることは非常に魅力的ではあるのですが、社会に出るとそんなに甘くもなく、いずれは親や守られた環境から巣立ち、社会の荒波の中で自分自身の道を切り開いていかなければなりません。

障害があることは何ら特別なことではなく、特別な待遇を享受できるわけではありません。ましてや、目には見えづらく、伝わりづらい、発達障害。それを理由にして渡り歩けるほど甘くはなく、全ての人が同様に、自己責任の元で生きているということに何の変わりはないのです。

 

私にとって、それが「障害」であることも「個性」であることも同じようなものです。「そのまんま」でその人です。私も、診断こそ受けていませんが、大人の発達障害と言われる類に入っていそうです。夫も然り。私の父なんて、昭和のあの世代だからこそ、「頑固で難しい人」で終わりましたが、今の時代であれば完全に発達障害と診断されることでしょう。私の姉も、私の弟もそうです。だから何?なのです。「障害だから」という前置きは通用しません。社会の摩擦も経験するでしょう。人との関わりに悩むこともあるでしょう。どうして自分はこうなんだと自己嫌悪に陥り、絶対に変わってやるという意志も一日と持たず、感情にコントールされ自分を見失うこともあるでしょう。

 

どんなに人や社会を恨めしく思っても、親を責めてみても、自分を嫌悪しても、「私は私」で「あなたはあなた」であって、「障害」も「個性」もそこにあるのです。そして、目の前にあるのは、私の人生であって、誰も交代してくれません。アドバイスやサポートはくれど、誰もその責任までは取ってはくれません。

 

結局は、「自分がどう在りたいのか?どう生きたいのか?」ということに尽きるのです。

 

さっさと「自分らしさ」というものを良い意味でも悪い意味でも認め、受け入れてしまえばいいのです。あとは責任をもって生きるだけなのですから。

 

なので、私は長男に対しては、ある意味スパルタかもしれません。彼の発達障害の部分に視点を合わせていないからです。もちろん彼の言動や振る舞いが、発達障害が起因していることは理解しているのですが、だからといって彼を特別扱いしたり、必要以上に忍耐深く接することもありません。そして、ある程度放任しています。親と子供の距離は時にとても難しいと思うのですが、私と長男の関係もそう。つかず離れずの程よい距離感が丁度良いといったところでしょうか。良くも悪くも関心がないのかもしれません。(私と彼は全く似ていなくて、彼を理解することも難しいのですから!)干渉し過ぎず、それでも見ている、知っているという感じでしょうか。

 

とにかく、彼には強く育ってほしいと思います。こんなに強い個性を持って生まれてきたのだもの。多少の荒波も乗り越えて、自分の感性を磨き、自分の世界観を構築してほしいと思います。彼の世界に沢山の人がいなくてもいいのですから。ほんの一握りでも、彼を理解してくれる友や彼の世界観に共感してくれる理解者がいれば十分です。その一番最初にあるのは、もちろん彼自身。彼が自分の感性にOKさえ出すことができれば、障害も個性も構うことなく、ただの「ありのままの彼」で生きていけます。


こうして書きながらまるで自分のことですね笑。私の世界には多くの人はいませんが、その数少ない人たちは私が私であることを悦んでくれます。

 

アメリカでの生活で彼は何を体験していくのでしょう。発達障害や個性への捉え方も国によって大きく異なるでしょう。私の考え方も大きく変わるかもしれません。

 

読んでいただきありがとうございます。

Have a great day!

 

 

 

 

雨が降らずとも元気な植物たち