サンディエゴより♡私が私らしく、あなたがあなたらしく

自然体で気まま♡私が私らしくいることが一番大切です。

雨降りの日。父のことを少し。

皆さま、こんにちは。

サンディエゴは朝から本格的な雨です。少し涼しくて気持ちがいいくらい。木々や花々もこの瞬間を心待ちにしていたでしょうね。

 

昨晩は、日本のお友達たちとZOOMでのお話を楽しみました。海外にいてもこうしてZOOMやLINEで簡単に会話できるって素晴らしいですよね。20年以上も前ですが、私が留学していた時は、国際電話をするのにカードを購入して、それもすぐ残金が減ってしまうので、両親に電話をするのも一か月に一度くらいだったでしょうか。今はどこにいても距離を感じないですね。

 

雨だからでしょうか。ふと父を想ったので、父のお話を少し。私の両親は健在ですが、家庭内別居のような家族バラバラの家族です。それは私が生まれた時から同じ。昔も今も変わらず、愛を見つけるのが難しいような喧嘩の絶えない家族です。それでも両親が離れることはなく、子供たちも家出することもなく・・・ こんな家族の形もあるのでしょうね。

 

私の父は今であれば発達障害と診断されるかもしれません。古い人間はそういうもの、しかし、度を越した人でした。根はとても優しくて真面目な人なのですが、繊細過ぎたのでしょう。貧しい家庭で育ち、好きだった勉強を諦め、親を支えるために中学校を退学しました。若くして就職した町の工場では夜勤シフトもあり、いつも疲れ切っていた父。それでも、定年まで勤め上げました。

 

二十歳で母と知り合い、大恋愛の末、駆け落ち結婚のような形で結婚をし、姉と私と、年のあいた弟の3人の子供を育て上げました。社会に出ても、周りの人との折り合いが悪く、それでも一家の大黒柱として家庭を支えるために、彼なりに最大限の我慢をしたのでしょう。

 

全ての鬱憤は母に向けられました。酒癖がとにかく悪く、毎晩晩酌をしては母に向けて、また子供たちに向けての暴言がまき散らされました。言葉だけではなく、手が出ることも何度もありました。父の、豹変した鬼の形相で母に飛び掛かっていく姿を忘れることがありません。母の、父を睨む真っ赤に充血したウサギのような目を忘れることがありません。

 

幸せな瞬間ももちろんありました。父と母の楽しい笑い声や二人のやり取りの記憶も微かに残っています。それでも、それはあまりに儚く、楽しい時間は幻のように一瞬で消えてしまいました。私は家族の楽しい瞬間をできる限り留めようと、いつしか周りの空気を読むピエロのようになっていました。

 

そんな父を、母は諦め、憎みました。姉も弟も父を憎み軽蔑しました。私にはできなかった。父の繊細さと弱さが、父の孤独と寂しさが痛い程に伝わったから。私が父から感じ取ったのは、震えるほどの孤独と、その裏にある、人への愛着でした。

 

ただ父が父らしく生きるために、時代は過酷で、父は不器用すぎたのです。

 

今、父は70歳の半ばに近づき、心と身体は老い、さらに孤独を纏ってしまいました。コロナが蔓延してから二年程は帰省もままならず、ようやく渡米前に久しぶりに子供たちを連れて逢いに帰ったのですが、父にとって、子供たちの喧騒はすでに苦痛に近いようでした。それよりも、自分の一人だけの世界を静かに繰り返したかった。そのように感じ、私はそっと受け入れました。

 

父を通して、生きるということの切なさを感じます。同時にそれでも生き抜こうとする人間の強さを感じます。

 

全ての人が生きては死んでいく。どんな人にも必ず最期の日はやっていきます。その生き様や死に様を誰が裁けるでしょう。誰が評価できるでしょうか。親でもなく、子でもなく、パートナーでもなく、結局は本人にしかわからない。

 

だから父の人生は、父が決めたこと。誰が何と言おうと、それはそれで良いのです。

 

読んで頂きありがとうございます。

Have a great day!

 

私が生まれ育ったのも海だった。