サンディエゴより♡私が私らしく、あなたがあなたらしく

自然体で気まま♡私が私らしくいることが一番大切です。

アメリカではスピリチュアルは必要ない?

みなさま、こんにちは。

今朝は朝早くから路上運転の練習をしてきました。日本でも運転歴は10年ほどはあるのですが、自宅周辺の慣れた広い道しか運転したことがなく、高速道路も走った事がありません。アメリカでの運転は渡米前から唯一の不安要素だったのですが、こればかりは避けては通れません。フリーウェイはおろか、普通の道ですら4車線、5車線はあり、右折レーンや左折レーンもしっかり決まっていて車線変更も必須。スピードも速いし、危険運転もたくさん!まずは、子供の小学校の送迎が来週月曜日から始まるので何としてでもそのミッションはクリアしなくては!

 

さて、今日はスピリチュアルの話を少し。2年くらい前でしょうか。急にスピリチュアルや精神世界への関心が出てきて、数多くのカウンセリングやヒーリングセッションを受けました。「学び」を深めたいとスピリチュアルや悟りの本を読んだり、講座を受けたりもしました。長男が生まれて子育ての大変さに我を失った10年。夫と長男との関係が劣悪になり、そのことから私と夫も喧嘩が絶えず、ギスギスした家庭でした。この泥沼から何とか抜け出したくて、目の前の問題を何とか解決したくて、それと同時に「自分とは何か?幸せとは何か?人生とは何か?」という疑問が次から次へと湧きおこり、そんな私の目の前に都合よく、スピリチュアルがありました。

 

スピリチュアルを通して、多くの異なる世界観に触れることができて楽しかったです。あらゆる意味において、私に「気づき」を与えてくれたのも事実です。素晴らしい出会いもありました。それでも、一年、二年もすると、本来の私の飽き性が水を差してしまったのか?当初のように、はっとさせられる気づきだったり、感動だったり、腑に落ちる感覚というものも得られなくなってしまいました。

 

「私は私で良い」という感覚の中で生きるようになると同時に、スピリチュアルというものを敢えてスピリチュアルと称さずともそれは当たり前のようにあるものだと感じるようになりました。そこにあったのは、華やかさも煌びやかさもない、地味な「私と私が見る世界」。私の人生は極めてシンプルで素朴で、とてつもなく自由でした。それが探し求めた「ありのまま」でした。

 

スピリチュアルに凝った時は、いつかセッションができるようなスピリチュアルカウンセラーやヒーラーになりたいなんて思っていました。「目に見えない力」への憧れがあったのです。知らないことを知りたい、触れられないものに触れたいという欲望がまるで私を支配するかのように、私はその思いに駆られてしまったのです。

 

しかし、その思いも次第に弱まり、その道へのシャッターは自然とガラガラと閉じられました。それもそうです。「私は私で良い」世界という立ち位置にいると、自ずと「あなたはあなたで良い」ということですから、私が誰かに対して「何かをしたい。」「何かをしてあげたい。」「助けてあげたい。」「アドバイスをしてあげたい。」という気持ちも失せてしまったのかなと思います。友人や知人から個人的なお話も聞かせてもらいますし、意見を求められることもあります。でも、私に聞いても何の役にも立ちません!!!!(笑)解決はおろか何のアドバイスも出来ていないと思います(笑)

 

「あなたはあなた」で「あなた」の創造の場で「あなた」の経験を積むことを楽しんでいると思っているので、何があっても「それでいいじゃない!」というスタンスに変わりがないのです。今、苦しい思いや悲しい思いをしていても、それが一生続くわけではありません。幸せや情熱も然りです。また、悲しみや不安や怒りなど負のイメージのある感情や体験も決して悪いわけではありません。

 

私だって苦しい思いや悲しい思いをしてきましたし、助けを求めて手当たり次第相談したこともあります。失敗もしましたし、お金も出ていきました。それでも、人間というものはそのような経験を実際にしてみないとそれらが何なのかさえも分からないのですよ。見て聞いて知ることと、実際に経験して知ることは断然その意味も質も違うのです。そして、そのような泥沼にいる時は、どこまでもジタバタして地団駄踏んでもがいてみればいいのです。ただ、そんな時期なだけなのです。来るべきタイミングで、それがどうでもよくなって、スルスルと別のことに気を取られることでしょう。

 

アメリカに来て、ここはスピリチュアルのようなものが必要ないのだと身に沁みました。なんせ皆楽しそうなのです!勿論、生きていると課題や悩みは人それぞれあるでしょう。それでも、「私は私で良い」という感覚が一人一人から溢れています。会った瞬間からそれがわかるのです。そしてその人からも「あなたはあなたで良い」という受け入れが伝わってくるように感じます。人と比べることのない世界。人の個性を尊重し合う世界。それが当たり前のようにあるからこそ、敢えてスピリチュアルという視点を取り入れることが必要ないのかもしれません。

 

私はお話をするのも、人のお話を聞くのも大好きです。それでも感情移入は一切しないです。私自身が冷たくて淡白なのかなと感じるところもあるのですが、「いいじゃない、それで!」と思うのです。一見不幸に思える出来事も、見えていることだけが全てではないので、「いい体験しているね!」と思う気持ちに変わりがないのです。

 

スピリチュアルカウンセラーやヒーラーとは全く程遠くなってしまった私ですが、きっとこれが本当の私でしょうね。でも、お話を聞くのはいつでも大歓迎です!みなさまも今できる体験を何なりと楽しんでくださいませ。

 

読んで頂きありがとうございます。

Have a great day!

 

 

 

青空にしっかり根付く木々

生きていることこそがすべて。素晴らしいのです。