自分の価値観と人の価値観を守りながら生きる!
みなさま、こんにちは。
今日は夫の誕生日です。ケーキを焼くのは苦手なので早速甘そうなケーキを子供たちと一緒に買ってきました。夕方は子供たちに空手クラスに行ってもらってその間にせっせとお料理を作ります。
昨日の公園での出来事です。我が家の兄弟が遊んでいる近くにメキシコ系でしょうか、スペイン語を話す姉妹がやってきて遊び始めました。スペイン語で話しながら楽しく遊んでいる様子に我が家の長男が何を思ったか、いや、何も思っていないのでしょうが、彼らの話すスペイン語を真似て、『アプラアパラアプラ』だったか大きな声で叫んでしまったのです。明らかに彼らに向けて、そうではなくても彼らを真似て、発したことなので、私はつい反応してしまいました。ヒヤッと、イラッと、いえ、カーッ!となりました。
発達障害のある長男にとって、キャッチした刺激にはどうしても反応せずにはいられません。本来ならば、咄嗟に何かが湧き上がってきても、理性や経験からストップ機能が働き、善と悪や適切、不適切の判断ができるのですが、長男はその機能が極めて弱いのです。
決して本人にも悪気があるわけではないのです。ただ、彼にとってはそれらが面白くてちょうど良い刺激になったのです。でも、彼だって後々考えれば分かるのです。自分が言われたり揶揄われたりすることは人一番嫌なのです。それでも、その瞬間は考えるよりも先に行動したり発言したりしてしまうのですね。
特にアメリカに来てからは、人種や言葉や性による差別や偏見をどう捉えていくかということを子供たちにも教えなくてはならないと強く感じます。
日本でも比較的外国人の多い地域に住んでいたので、幼稚園や小学校にもクラスに数人は必ず外国人や多国籍の子供がいました。また、小学校での我が家の兄弟の一番の親友はマダガスカル人の兄弟。肌の色も言葉も何も気にすることなく、本当に自然に遊ぶ様子を見ていてとても微笑ましかったです。
そして、何を隠そう。我が家の子供たちも中華系シンガポール人と日本人のハーフです。ただ、日本で生まれ育ち、シンガポールには年に一度遊びに帰るくらいなので、彼らのアイデンティティは断固として日本人です。パパはシンガポール人、でも、僕は日本人といった感じです。それでも間違いはありません。アイデンティティとは、『自分が自分をどう認識しているか』なので、彼らがそうと言えば周りが何といようと、そうなのです。
アメリカに来て初めて連れていったスーパーの店員さんが明らかにトランスジェンダーの方で、私の子供たちは、彼女を真正面から見上げながら日本語で『この人、男でしょう?』と。コラッ!!と叫びたいのを我慢して、少し離れてから『She is a woman if she thinks she is!』と。周りが何と思おうと、『私は私でよい』というのは変わりません。
その後知り合った7歳の男の子と遊ぶ機会がありました。ガレージから覗いている男性を見て、『パパなの?』と次男が聞きました。すると『He is my grandpa. I don't have a dad! I have two moms!!! 』
な、なんですと?!!お母さんが二人??一瞬私の頭にもはてなマークが。次男は完全にスルーしていましたが、彼のママたちはLGBTのカップルとのことでした。
たくさんの価値観が普通にある社会って本当に素敵だなと思いました。
同じく昨日のこと。30歳くらいでしょうか、大人の男性が公園へやってきて、とっても楽しそうにYaaay!!! Yapiii!! と叫びなから30分はブランコを揚々と漕いでいたでしょうか。こういう時、大人は察して少し距離を置いたりするのではないでしょうか。それはアメリカでも一緒なのかな。近くにいた人たちは子供を連れて少しずつ少しずつ距離を置く様子が伺えました。
暫くその様子を見ていた次男が私に尋ねました。『アメリカでは、大人も自分が子供だと思ったら子供になれるの?』はっとさせられ、どこか嬉しかったです。『そうね、自分がそう思うのならそれでいいわよね。』
人種や性のアイデンティティであれ、病気や障がいであれ、本当は『私が私で良い』というスタンスで間違いないのですよね。
私の長男は、真っ白な世界に住んでいるように感じます。常識や世間一般のルールのない真っ白な世界には、人や社会が決めた善悪の価値判断がありません。人と人との境界も非常に曖昧です。
それが、彼自身なのです。『彼は彼で良い』というのをどこまでも尊重すると、彼の公園での振る舞いも『彼らしさ』の範疇にあるのです。無意識で、無邪気な、彼の表現のひとつなのです。
それを理解しつつ、私は私のスタンスがあり、子供たちには伝えておきたい。私は、人と人との境界はしっかり守りたい。人のコアの部分を決して傷つけることだけはしたくはない。その人のアイデンティティや尊厳を傷つけること、その人が愛する人や家族を傷つけること、それは、オールオッケーの世界の中での守るべきルールなのですね。
人の数同等の価値観があります。私とあなたの価値観を比べることは何の意味もありません。基準が『私』である限り、正解はどこにもないからです。
だからこそ、自分の価値観を守りながら生きるためには、人の価値観を守りたい。そう思います。
子供たちにはこのような体験をたくさんして欲しいと思っています。
読んでいただきありがとうございます。
Have a great day!