個を生きると調和が成りたつ
みなさま、こんにちは。
アメリカは月曜日が祝日で3連休でした。我が家は、近くのビーチに行ったり、お友達と公園で遊んだり、お買い物をしたりしてのんびりと過ごしました。今日からまた一週間の始まり。子供たちは少し眠たげに起きてきましたが、嫌がることもなく元気に登校してくれました。
サンディエゴではここ暫く異常な暑さが続いています。外に出ても、車の中も、ビーチも、そして家の中も(我が家のコンドミニアムにはエアコンがついていません!)、どこにいても、太陽の陽ざしが強烈です。日焼け対策をしつつも、私も子供たちも既に真っ黒です。
そして、この連休でようやくウッドデッキに置けるアウトドアチェアやリクライニングチェアを買いました。こちらは夜の8時くらいまで明るいのですが、夜風に当たりながらウッドデッキで涼める幸せったらありません。ミルクティーを片手に、日本の懐かしの曲をかけて一時間は歌っているでしょうか(笑)世界は真っ白。最高のリフレッシュタイムです。半月が煌めきとても優雅な夜でした。日本でも同じようにこの月を眺めているでしょうか。
ここ最近、自分【個】を持ちながら、調和の循環に在るってどういうことだろうって考えて(感じて)きました。私の家の周りはとても心地の良い自然豊かな場所です。神々しい木々のお陰なのでしょうか。私にとって、とても調和を感じやすい場所なのです。しなやかに空高く伸びる木々たちは、壮大で、寡黙で、神聖で、その悠々としたスケールの大きさが素晴らしいのです。そして、花々は凛として、また、ある花々は健気で可愛らしく、そこで静かに咲いています。
この木々たちや花々を感じながらお散歩をしていると、私もその循環の輪の中にいることを心の奥底で感じ、私が【個】として存在することに果てしない喜びと広がりを感じることができます。自然体である私が周りと完全に調和しているのです。
考えれてみれば、私がこちらで出会った人たちは皆、【個】を持ちながら調和しているのです。
日本人はその性格や育った環境や社会から、【枠】がありきで自分と自分以外の人を捉えているのではないでしょうか。そして、私を主張するとどうしても【我】が強い人と言われてしまいます。【枠】が存在するからです。常に【境界線】があるからです。その【枠】の中にいることが苦しくて、打破しようともがいている人もいるかもしれません。その【枠】に収まろうと小さくなっている人もいるかもしれません。
私が体験したい世界。それは、【個】を持ちながら調和している世界。【我】ではなく、【個】なのです。なので、主張しなくてよいのです。【個】であることに揺ぎがないのです。そして、そのものを表現しながら自然体で生きている。それが調和となり、循環の輪の中にいるのです。
【個】であること。それは、自分であることに揺ぎがない。だからこそ相手を受け入れることができるのです。相手が気にならないのです。自分以外のものに対しての抵抗感がなく、自分は自分、相手は相手であることを、自然なものとして受け入れているのです。違いに対しての恐れも抵抗もないのです。
これを知ると、【枠】が必要なくなります。【枠】を必要としないから悠々としたスケール感が出てくるのです。どっしりと安定感のある幹に、しなやかに伸びる枝葉。本当は私たちも木々たちや花々と同じなのです。我を主張せずとも、【個】として十分にその輝きを全うしているのです。
ここにいる私は自然そのものです。私が出会う人も自然そのものです。その循環がとても柔らかでしなやかなエネルギーを生み出しているように感じます。
私が体験したかったことの一つをすでに体験しつつあります。言葉で表現することは難しいのですが、確実に私の中に体感としてあります。
読んで頂きありがとうございます。
Have a great day!