サンディエゴより♡私が私らしく、あなたがあなたらしく

自然体で気まま♡私が私らしくいることが一番大切です。

子供たちの遊び方もとってもユニーク!

みなさま、こんにちは。

ラホヤは朝夕涼しくなってきました。朝の散歩は軽めのジャケットやパーカーが必要です。

 

家の前の公園で子供たちが空手を習っているのを何度か通りすがりで見かけて知っていたのですが、つい最近知り合ったママに誘われて、土曜日の朝に参加してきました。道場ではなく、木々が香る公園で朝から身体を動かせる幸せは比べ物になりません。陽気なメキシコ人の先生は子供たちの扱いや教え方がとっても上手。自由な雰囲気の中で、体力づくりは勿論、先生や仲間への礼儀や礼節も学んでいるようです。アメリカといえば、スポーツに対してはかなり真剣で、競い合うことを好む印象があるのですが、こちらのクラスは楽しむことを最優先にしているようで、我が家の子供たちにもぴったり。平日に二回、週末にも一回クラスがあるようで、これから通わせてみようと思っています。

 

こちらに来て少しずつ同じ年頃の子供たちと遊んでいますが、とにかく遊び方がクリエイティブ!日本では当たり前のニンテンドースイッチプレイステーションなどのゲームは殆どやりません。これまでゲームを持っていた子供は韓国系の子供一人だけ。教育方針としてゲームを与えないことが多いのでしょうか。我が家の子供たちはとにかくゲームやTVが大好き。日本でもお友達とはゲームで遊ぶことが多かったので、その習慣でどうしても新しくできたお友達をゲームに誘いたがるのですが、そうもいきません。気持ちはとってもわかるのですけどね。

 

ゲームは週末の夜、TVも夜の2時間程度だけというのが一応は我が家のルールではあるのですが、特にこちらに来てからは、親の用事の合間にゲームやTVを与えてしまったりと、そのルールも緩みがち。来週から新学期が始まるとまた気を引き締める必要がありそうです。

 

こちらの子供たち。夏の間はとにかくプール!プールとホットバスを交互に繰り返して何時間でも遊んでいます。なんせ、ゲームを与えられていないので、自分で遊び方を創造するしかありません。ある友達は、クラブ活動と称して近くにいる子供たちを募り、かなり組織的に遊んでおりました。その時は、なんとスパイクラブ。クラブのメンバーにも入団テストのようなもの(持久力をチェックするもので、我が家の子供たちは公園を何往復も走らされておりました。)がありました。テストに合格するとそれぞれのランクに合った任務が与えられます。手始めとして、公園の隅っこの方に座っている親子がいたのですが、偵察に行き、どういう人なのか、何を話していて、何をして遊んでいるのか等の情報を気づかれることなく持ち帰ることが任務でした。子供のことですから、最後にはぐちゃぐちゃになってスパイクラブはいずこに?といった状態になるのですが、本当に面白いですよね。ボール遊びにしろ、鬼ごっこのようなものにしろ、ゲームのルールは全て自分たちで決めます。どんどん遊びの幅が広がり、横で見ていても感心させられます。

 

一方、我が家の子供たちは暇が苦手。なかなかクリエイティブに遊べずに、「暇~。遊ぶことが何もなくてつまんない。」挙句の果ては「ママ、遊んで。」か「ママ、ゲームしていい?TV見ていい?」となります。ついつい、やるべきことを与えてしまったり、提案をしたりしますが、本当は、とことん暇を味合わせた方がいいのかもしれません。

大人もそうですが、仕事や用事などの「やるべきこと」がなくなった時にようやく、自分の創造性がむくむくと起き上がり、本当にやりたかったことが見えてくるものです。子供も同様に、大人が横から口を出さずに、本人が「暇から何を見出すのか」を見守ることが大切なのでしょうね。

 

長年の習慣からすぐに変わるとは思っていませんが、少しずつ我が家も方針転換が必要そうです。それには、忍耐も必要。大人から見てどんなに無駄でしょうもないと思われることも、大きな可能性の小さな芽かもしれません。

 

こうしてブログを書いている隣で、我が家の子供たちは新しいポケモンのキャラクターをそれぞれ作り出し、進化バージョンや技を決めているようです。

 

読んでいただきありがとうございます。

Have a great day!

 

 

公園での空手クラス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は初めての給料日でした。こちらのお金の事情を少し。

みなさま、こんにちは。

アメリカに来て、8月から仕事を開始した夫。昨日が初めての給料日でした。こちらでは、2週間に一度お給料が支払われるそうで、朝からワクワク楽しみに出勤していった夫。しかし、帰宅すると様子が変。税金を引かれた後の手取りの額面を目にし、大きなショックを受けておりました。

 

今回の渡米は、駐在員としてではなく、現地採用の転職です。私も夫もお金にはあまり関心がなく、物欲もさほどありません。夫婦共にお金のかかる趣味もないですし、服やインテリアにも拘りがありません。勿論、これからいくらでもお金がかかる子供が二人いるので、貯金に回すゆとりがあるのに越したことはありません。それでも、特に子供たちの教育や習い事など今しかかけられない費用は惜しみなく出すといった方針でここまでやってきました。老後を考えるのにはまだまだ若いですしね(笑)

 

ですので、新しい会社から採用通知をもらった時も、特に生活費のシミュレーションを計算するわけでもなく、給料の交渉をするわけでもなく、ただただ渡米が叶ったことが嬉しくて、こちらにやってきたのです。私なんて夫に金銭面はお任せしているので、実際にいくら収入を得ているのか全く知らないくらいです。(大丈夫という夫の言葉を信用していたりします。が、本当に大丈夫なのか・・・!?)

 

日本では私もフルタイムで仕事をしていましたし、夫もその分野ではトップの外資系企業で勤務しておりました。しかし、こちらでは私は仕事をしていない上に、サンディエゴの物価は想像以上に高いのです。家賃は、日本の持ち家のローンよりも2倍以上はします。(それでも、海の近くに住みたいと比較的高いエリアに家を借りてしまった私たち。もしかするとエリアの見直しは数年先には必要かもしれません。)それに加えて、光熱費、ガソリン代、食費、全てが日本より数割増しという物価高のアメリカ。所得税や市民税などの税制も詳しくは調べてはいませんが、手取り金額は給料の半分にも満たないのでは??!!!ということなのです。

 

えええええ!!!この金額で3000ドルはざっと超すアパートの賃料も払い、これから購入しなければいけない車代、ガソリン代、光熱費に食費、諸々。貯金はおろか、もしかして赤字なんじゃない!???

 

子供たちは公立の小学校に行くので無料(のはず)ですが、この先の習い事やアフタースクール、チューターや塾(これらの金額も相当割高です!)もそうですし、来年のサマーキャンプなども気軽に行かせてあげるのは難しそうです。ついつい食費の節約術を検索しましたよ。

 

日本にいた頃と比べて生活水準はかなり低くなりそうです。それでも、不安や焦りというものはあまり感じません。私たち夫婦にとって、今回ようやく叶ったアメリカ生活は、【体験を買う】という意味合いが強いのです。子供たちの留学費を先に支払っている感覚でしょうか。

 

心から求めているものを得られずに淡々と暮らしていた日本での生活と比べて、お金に余裕はなくとも、心を開いて自然体に過ごしていられることの方が私にとっては断然に価値が高いのです。幸せというものはお金には代えられませんしね。

 

そして、お金というものは、いつか必要な額が必要なタイミングで回ってくるものだと思っています。今ないということはそれほど必要ではないのです。心のままにこちらで生活していると、夫の給料はどんどん上向きかもしれませんし、私だってもしかすると永住権の抽選でも当たって仕事ができるようになるかもしれません(笑)先のことなんて誰にも分からないのですから、心配するだけ無駄だと思っています。

 

とはいえ、できることはやらなければ!節約術はお料理好きの私にとっては得意分野です。家族が喜んでくれるお料理を最低限のコストで作ること。俄然やる気が出ます。もうそれだけでワクワクします!

 

読んでいただきありがとうございます。

Have a great day!

赤。しっかりグラウンディングして生きる。

赤は気分が上がります。

 

 

 

 

 

 

 

 

発達障害は障害?個性?

みなさま、こんにちは。

今日もサンディエゴは暑いです。こちらに来てから三週間。雨が降ったのはたった一日でそれもにわか雨。この先一週間の天気予報も晴ればかり。そろそろ雨が恋しいです。

 

夏休みも終盤。再来週にはいよいよ小学校もスタートです。ですが、実はまだ我が家の子供たちの学校の申し込みは済ませていません。早く済ませて安心したい気持ちは山々ですが、なんせ学校のオフィスも長い夏休み。今日ようやく担当者から返事があり、来週にアポイントメントを取ることができました。

 

学校への申込書には、子供たちの性格や状況などを細かく記載するアンケートがあります。我が家の長男は、3歳の時に自閉症スペクトラムと診断をされています。就学前は、民間の療育センターに週に2回ほど通っておりました。言葉も遅く、手先や身体の動かし方もぎこちなく、また、社会性も未発達と診断されていたので、様々なタイプの療育を受けてきました。療育は、本人はもちろん母としての私の安心材料にもなっていた気がします。

 

それでも小学校は通常級に通いました。人それぞれ考え方は様々ですし、自閉症発達障害といえど個性の一つなので、何一つとっても誰かと同じということはありません。私たち夫婦は、長男には多少困難があったとしても、多様性を体験させたくて通常級に通うことに拘ってきました。

 

彼の個性を理解してくれる特別級で彼に合ったサポートを受けることは非常に魅力的ではあるのですが、社会に出るとそんなに甘くもなく、いずれは親や守られた環境から巣立ち、社会の荒波の中で自分自身の道を切り開いていかなければなりません。

障害があることは何ら特別なことではなく、特別な待遇を享受できるわけではありません。ましてや、目には見えづらく、伝わりづらい、発達障害。それを理由にして渡り歩けるほど甘くはなく、全ての人が同様に、自己責任の元で生きているということに何の変わりはないのです。

 

私にとって、それが「障害」であることも「個性」であることも同じようなものです。「そのまんま」でその人です。私も、診断こそ受けていませんが、大人の発達障害と言われる類に入っていそうです。夫も然り。私の父なんて、昭和のあの世代だからこそ、「頑固で難しい人」で終わりましたが、今の時代であれば完全に発達障害と診断されることでしょう。私の姉も、私の弟もそうです。だから何?なのです。「障害だから」という前置きは通用しません。社会の摩擦も経験するでしょう。人との関わりに悩むこともあるでしょう。どうして自分はこうなんだと自己嫌悪に陥り、絶対に変わってやるという意志も一日と持たず、感情にコントールされ自分を見失うこともあるでしょう。

 

どんなに人や社会を恨めしく思っても、親を責めてみても、自分を嫌悪しても、「私は私」で「あなたはあなた」であって、「障害」も「個性」もそこにあるのです。そして、目の前にあるのは、私の人生であって、誰も交代してくれません。アドバイスやサポートはくれど、誰もその責任までは取ってはくれません。

 

結局は、「自分がどう在りたいのか?どう生きたいのか?」ということに尽きるのです。

 

さっさと「自分らしさ」というものを良い意味でも悪い意味でも認め、受け入れてしまえばいいのです。あとは責任をもって生きるだけなのですから。

 

なので、私は長男に対しては、ある意味スパルタかもしれません。彼の発達障害の部分に視点を合わせていないからです。もちろん彼の言動や振る舞いが、発達障害が起因していることは理解しているのですが、だからといって彼を特別扱いしたり、必要以上に忍耐深く接することもありません。そして、ある程度放任しています。親と子供の距離は時にとても難しいと思うのですが、私と長男の関係もそう。つかず離れずの程よい距離感が丁度良いといったところでしょうか。良くも悪くも関心がないのかもしれません。(私と彼は全く似ていなくて、彼を理解することも難しいのですから!)干渉し過ぎず、それでも見ている、知っているという感じでしょうか。

 

とにかく、彼には強く育ってほしいと思います。こんなに強い個性を持って生まれてきたのだもの。多少の荒波も乗り越えて、自分の感性を磨き、自分の世界観を構築してほしいと思います。彼の世界に沢山の人がいなくてもいいのですから。ほんの一握りでも、彼を理解してくれる友や彼の世界観に共感してくれる理解者がいれば十分です。その一番最初にあるのは、もちろん彼自身。彼が自分の感性にOKさえ出すことができれば、障害も個性も構うことなく、ただの「ありのままの彼」で生きていけます。


こうして書きながらまるで自分のことですね笑。私の世界には多くの人はいませんが、その数少ない人たちは私が私であることを悦んでくれます。

 

アメリカでの生活で彼は何を体験していくのでしょう。発達障害や個性への捉え方も国によって大きく異なるでしょう。私の考え方も大きく変わるかもしれません。

 

読んでいただきありがとうございます。

Have a great day!

 

 

 

 

雨が降らずとも元気な植物たち

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

才能は主観で結構!

みなさま、こんばんは。

ディナーを終えて、夫も子供たちもまったりです。私が家事の中でも唯一得意なのがお料理。キッチンは私の居場所とばかりにクッキングタイムは私にとってリフレッシュタイムです。これは私に備わった才能の一つ。私の舌はとっても肥えていて、一度食べたものは大体再現することができます。そして、ハーブやスパイスをミックスするのも大好き。ほぼほぼ想像する味に仕上げることができます。

 

自分にとっての好きや得意。人から見たら些細な大したことのないものでも立派な才能なのですよ。才能といえば、何かに秀でていたり、誰にも負けないことであったりと、何か突出したものと思いがちですが決してそうではありません。そう思ってしまうのは、常に「他人」があるからです。人と比較しているうちはなかなか自分の才能が見つけられなかったりします。それってとっても勿体なくないですか?

 

本当は、好きなもの=才能なのです。私たちは世の中の大抵のものに無関心だったり、興味がなかったりします。目の前を通り過ぎても目に留めることも、さして気にすることもありません。そんな中、意識に上がってくるのは、自分が好きなもの(こと)とそれとは反対に自分が嫌いなもの(こと)や苦手なもの(こと)です。

 

全ては自分の意識下で起こっていることなので、誰とも比較できませんし、比較するものではありません。自分の中の相対値でしかないのです。主観で大いに結構なのです。

 

ですので、好き!と思えるものは自分の才能(それを認めるかどうかは別にして)といっても間違いありません。

 

私の才能。お料理をすること。話すこと。素早く情報を探し集めること。人と仲良くすること。すぐ忘れること。人(自分)を許すこと。楽しく過ごすこと。ストイックにもぐうたらにもなれること。好奇心が旺盛なこと。コミュニケーションを取ること。空気を読むこと。直感が鋭いこと。身体を動かすこと。本当にキリがありません。

 

反対に苦手なこと。手先が不器用なこと。細かいことに拘ること。人の名前や顔を覚えること。算数や論理的に考えること。掃除や収納。物事をコツコツ続けること。ファッションやインテリアのセンス。リズム感やダンスのセンスは全くありません。そして、物凄く音痴!こちらも数えればキリがありません。でもね、これも本当は潜在的に隠れた才能かもしれません。意識に上がっているということは何かしらのヒントなのです。そうでなければ気づくことすらしないのですから。

 

このように子供の才能を見つけることも簡単です。我が家の長男。今朝ダウンロードした英語学習のアプリ。クリアするのが楽しいのか、なんと夕方まで集中して取り組んでいました。一方、次男は通りすがりの人には必ず挨拶しますし、ワンちゃんとは必ず仲良くなります。これも才能の一つですよね。

 

こう考えると、人生は気楽で大いに結構なのです。人と比べるから苦しくなるのです。自分が自分らしく在る限り、全ては順調。間違いありません。

 

隣の青い芝と比べることに全く意味はなく、その時間や暇があればどうぞ自分の好きなことや嫌いなことに意識を向けてみてください。

 

私は、少し集中して細かい作業をすることに熱中してみようと思っています。それからダンスも!きっとできるはず!!

 

読んでいただきありがとうございます。

Have a great day!

 

 

 

緑あふれる公園でぼ~っと過ごすのも大好きです。

運転は苦手。克服したい。

 

 

 

 

 

 

子どもたちに体験してもらいたいこと

みなさま、こんにちは。

午後の始まりは日課になっているプールから。ひとしきり遊んだ後はゲームやYouTubeに夢中。今月末から始まるスクールDAYを考えると今のだらしない程のんびりした暮らしも致し方ありません。どんな日々が待ち受けるかは想像を絶するので、来るまでは考えないことにしています(笑)

 

それでも、少しでも英語に慣れてほしいと子供たちには英語で話しかけています。理解しているかどうかはどこまでも不明。午前中には、英語の文法らしいことを教えてみたり、英単語を書かせてみたり、一応勉強らしいこともしています。「なんでそんなことも・・・」「何度やったら覚えるの!」とつい口から出そうにもなります。(いや、出てますね・・・)それでも、焦りは禁物。結果だけを求めて何かをやっても意味がないのですよね。英語力ゼロの状態でアメリカに連れてこられ(笑)チンプンカンプンで現地校に放り込まれるのだもの。本人たちにとっては大変な苦労でしょうが、それまた素晴らしい経験じゃないですか!どうせなら親も子も楽しまないと損ですよね!

 

親として、もちろん心配はあります。一人でもいいから仲良しの友達はできるかな?学校で楽しく過ごしてくれるかな?もうそれだけでもクリアしてくれたら百点満点です。成績なんて二の次、三の次。目をつぶるしかありません。

 

これもまた子供の性格によるのでしょう。我が家の子供たちは、とにかくマイペース。誰かと比較することも、競争をすることも、全く興味がありません。私はどちらかというと負けず嫌いの性格で、とにかく一番になることが好きだったのです。なので、小学校から優等生。勉強もスポーツも上手にこなすことができました。進学校に進学して、大学も国公立に入り、ある程度は親の期待に添う形で道を歩んできたのですが、社会人になり、親となり、途中で苦しくなってしまいました。自分の本来の生き方ではなかったのですね。どこでも、誰とでも、ある程度は卒なく関わることができるのです。ある程度は充実感もあり楽しいのです。でも、どこか宙ぶらりん。小さな穴が開いてしまい、その穴が少しずつ少しずつ大きくなってしまいました。

 

私は一体何のために生きているのだろう?これまで生きてきたけれど、大したことは何も達成していないし、何の役にも立てていない。人生はこんなはずじゃないはず。もっと大切な、何か使命のようなものがあるんじゃないか?と今度はスピリチュアルの世界にありがちな「人生の使命探し」に没頭していきました。

 

私は一体何が好きなのでしょう?私の得意なものは何なのでしょう?

今考えたら笑ってしまいますよね。でも、当時は真剣に、他人様に聞いておりました。

 

「〇〇が貴方の使命です。あなたには〇〇のような素晴らしいところがあります。ぜひ人の役に立って世の為、人の為に尽くしてください。」なんて言われたら、心のどこかでにんまりし、そうかそうかと一応は納得していました。全然ピンと来ないことを言われるとまるでスルー。ぽっかり開いた穴を埋めようと、次から次へと忙しく頭と心がグルグルしていましたね。

 

今は全くございません。使命なんて大層なものは私には求めないでくださいと願っています。世の為、人の為に生きるというのは私にはどうも合いませんし、私が誰かのために何かをしてあげたいとも早々思いません。私は私でいることが大好きで、その居心地の良さが一番大切で、それを蔑ろにして何かをしている時は必ずといって神経がすり減ってカリカリしてしまうからです。私にとって、自分の半径1メートルくらいがご機嫌スペースであればまずは合格。あわよくば、家族もそんなご機嫌スペースにいられれば素晴らしい。でも家族といっても人はみな違うので、それすらも難しいこともあります。それでも、気にしない、気にし過ぎない。「私が私らしくあること」が一番大切です。

 

社会の平均があるとしたら、とっくにはみ出している我が家の子どもたちに求めること。それは、自分は自分で良いという絶対的な自信を得ることだけです。まずはそれさえあれば生きていけると思うのです。自分探しというのは、全ての人が体験するのかもしれません。誰になんと言われようと、自分が自分の一番のファンで、理解者で、評価者であれば、それなりに楽しく暮らせるでしょう。あとは、自分の人生に責任を持つことだけです。

 

どんなことにもクリエイティブで、どこまでもスマートであって欲しいと思います。スマートさというのは、決して成績で得られるものではなく、この世界を生き抜く直感や叡智のようなものが自分に備わっているのだという自信から来ると思っています。

 

人生には正解なんてどこにも存在しないからこそ、自分をうまく操縦する方法をぜひ学んでいってほしいなと思います。子供たちの人生が楽しく、カラフルになりますように。

 

読んでいただきありがとうございます。

Have a great day!

家の前の公園にある遊具。我が家の子供たちはまだまだ遊具で遊べます。

ショッピングモールの遊具もたくさんの人が集います。

 

物件探し。今の物件も直感で!

みなさま、こんにちは。

 週末は、スーパーへ買い物に行ったり、公園やプールで遊んだりしてのんびり過ごしました。私たちが住んでいるコンドミニアムには、共同プールやレクリエーションセンターがあるのですが、特に週末は朝から賑やかです。子供だけではなく、大人も大はしゃぎ。老若男女問わず、大胆にビキニを着て、ビールとチップス片手に本当に楽しそう!スピーカーさえあればいつでもどこでもパーティーが始まります。私たち家族はまだおとなしめ。その輪には入れていないのですが、いつの日か!(笑)いくつになっても日常を愉しむ気持ちを持ち続けるって本当に大切なことですよね。

 

さて、今回の渡米は駐在員としてではなく、現地採用という形で実現したので、リロケーションのサポートはほぼ皆無。日本での手続きや引っ越しもかなり大変でしたが、こちらのお家探しもなかなか大変でした。(そういえば、日本には持ち家があって賃貸に出すために管理会社と契約をしているのですが、まだ借り主が決まっていなくて。こちらもタイミングを待つしかありません。)

 

家が決まるまでのホテル暮らし。カリフォルニアのサンディエゴは物価もかなり高く、普通のホテルに連泊は我が家の金銭的にかなり厳しい。それでも最低限の安全は確保したいと、なんとか妥協できそうなホテルを選びました。お世辞にも綺麗とは言えない狭い一部屋の二つのベッドを家族4人でシェア。キッチンもなく、唯一設置されていた電子レンジで作れる、料理とはいえない料理。外食を続けるのも金銭的には堪えるので、近くのスーパーへ買い出しに。朝はコーンフレーク。昼はハムとチーズを挟んだだけのサンドイッチを持参。夜は、パン、サラダ、缶詰のスープに即席のミートボール。同じメニューを10日間は食べたでしょうか。我が家の食いしん坊の子供たち。ご飯のごの字も、言わなかった。そして、文句さえいう事も出来ない程に呆然としておりました。

 

家を買うなんて夢のまた夢。賃貸のアパートや一軒家を探すことにしました。しかし、6月頃から夏にかけて引っ越しのピークらしく、通常の相場よりも何割増にもなっていて、2ベッドルームにしてもゆうに3000ドルは超えてしまいます。それでも、物件数に対して数十倍もの申込者数。電話をしても管理会社にさえ繋がらなかったり、すでに入居者が決定していたりと、時間ばかりが過ぎてしまい、夫にも焦りが出てきます。

 

一軒目の物件ツアーの申し込みをしたのが今のコンドミニアム。ここに住みたい!と直感的に感じました。他のエリアもいろいろ見てはみたのですが、どこへ行っても私には茶色に感じられるのです。緑と青空を感じにくいといったらいいでしょうか。実際にその地で自由に生活するということが想像できなかったのですね。『茶色い場所に住むのは嫌だー』とずっと言っていました。笑

 

そして、住みたい物件が決まると申し込みをするわけですが、管理会社による審査もなかなか大変です。一つの物件に何十人の申し込みというのはザラのようで、ここで審査の基準になってくるのが、クレジットスコアです。クレジットヒストリーとはクレジットカードの利用履歴のことで、過去のクレジットカードの利用状況や返済履歴などのことをいいます。それをスコア化したものがクレジットスコアであり、スコアが高い順に優先されるという訳です。

 

もうこの時点で私たちには不利じゃないかーーー!!!現地のクレジットカードも持っておらず、故にその履歴もなく。更にはソーシャルセキュリティナンバーも未取得。唯一日本の銀行の貯金額を提示することしかできず、あとは祈るのみでした。

 

でも一番住みたかった物件を無事に借りることができました。本当によかったです。しかも住むごとに好きになってくるような素敵な場所。お家自体はさほど広くなく質素なお家なのですが、太陽の光が降り注ぐキッチンに、キッチンから続く広いバルコニー。二階建てのコンドミニアムなので、騒がしい我が家は下の階の住人を気にすることなく暮らせます。(それでもお隣さんにはいつか叱られてしまうかも。)お家を出るとすぐ前には広い公園があり、子供たちは勿論、大人たちもヨガをしたり、空手をしたり、ハンモックを広げて昼寝をしたり、ピクニックやパーティをしたりと思いのままに過ごしています。朝晩はクールダウンし、緑も多く、ジョギングやウォーキングも最高に気持ちがいい。直感で巡り合った今の物件ですが、やっぱり私ってついている!本当に、私はラッキーなのです。

 

「なんとかなる」がモットーの私。私ってついてる!って思い込んでいるのもあって、こういう時は自分の直感を当てにしています。あまり深く吟味したり、調べて比較したりもしないし、できないので、もちろんこれまでに失敗もありますが、それもまた良し。今までこうして生きてきてなんだかんだ上手くいっているので、それが私にとっては良い塩梅なのかもしれません。

 

読んでいただきありがとうございます。

Have a good day!

 

 

平日のプール。週末は大人が盛り上がります。

コンドミニアム。朝晩も一人で歩けるとっても安全なところ。

 

 

アメリカでの生活を手に入れる!

みなさん、こんにちは!

朝起きて散歩に出かけ、溢れる太陽の陽ざしを浴びながら、「私は何て恵まれているの!」と心からの感謝から始まる日は何て素晴らしいのでしょう。

日本ではやはり無理をしていたのかもしれません。ポジティブで幸せなマインドでいるためには、どこかで努力や妥協をしていたのでしょう。喜びや幸福を感じなければと、そうでなければいけないのだと、不自然に求め続けてきました。そんなところに私の求めていたものはなかった。今は少しずつ分かってきたような気がします。

 

私は今カリフォルニアのサンディエゴで暮らしています。子供の頃から海外への関心が強く、大学も外国語大学に進学しましたし、留学もしました。商社時代は月の半分は世界を飛び回り、いつか海外に住むことが夢というよりも、然るべき当然のことのように感じてきました。


そしてシンガポール人の夫と出会い、なんと日本に住まいを構えることになったのです。横浜でマイホームを購入するなんて誰が想像したでしょうか。どうしても自分の土地と家を購入したい夫に折れる形で持った自宅。しかし、この場所で一生住むなんてどうしても考えられませんでした。私にとって一つの場所に縛られることは、大きな自由を失うようでとても怖かったのです。

 

閉塞感を感じながら子育てで精一杯の毎日。いつか海外で住みたいという夢も幻のようにどこか彼方に消え去ってしまいました。先の見えない子育て。誰かのために何かをしなければと、するべきことに囚われたロボットのような生活に焦りばかりを募らせ、どこか心あらずで淡々と生きてきました。私って何なの?私は一体何をしたいの?私って幸せなの?悶々とした気持ちから、心理学やNLPなどの学びやスピリチュアルにも興味を持った時期でした。


本当にこのままでいいの?


そんな気持ちを察したのか、次第に夫が環境を変えたいと言い出したのです。


日本は嫌いではないのですが、日本での働き方や立ち回り方がシンガポール人の彼にとっては窮屈に感じたのでしょう。40代も半ば。最後にどうしてももう一度チャレンジしたいとアメリカでの転職活動を始めたのです。

 

しかし、トランプ政権では、就労ビザのスポンサーを獲得することも簡単ではなく、どれほど履歴書を送ろうと返信すらもらえない日々。そうこうするうちに世界中でコロナが蔓延し、海外就職など言ってはいられない事態になってしまいました。こうして3年、5年はあっという間に過ぎてしまったのです。

 

それでも私には、必ずアメリカに行くだろうというどこか確信に近い絶対的なものがありました。なんの根拠もない確信と言ったところでしょうか。焦らずとも必ずベストなタイミングで物事は訪れるのだと。逆にいうと、タイミングでないものは、どんなに頑張ろうと、どんなにもがこうと来ないものは来ないのです。

 

私のキャリアや能力では、アメリカでの転職の可能性はゼロに近く、私にできることは、ただただベストな状態を想像し、妄想しながらご機嫌に暮らし、焦る夫を笑い飛ばし、必ずその時は訪れると信じ切ることでした。

 

引き寄せや願望実現といいますが、今回のことで少し分かったような気がします。望みを叶える上でとても大切なこと。祈りにも通ずるのだと思うのですが、『誰かのために純粋に心から願った願いは叶う』ということです。


私がどうこうしたいというのは脇に置き、実際に努力をし続けている夫を見てきて、純粋な気持ちが生まれた瞬間がありました。


『夫の頑張りにどうか報いてください。』

私の気持ちに変化があった日のその翌日、物事が一気に動き始めたのです。

 

転職活動から5年は経っていたでしょうか。階段を転げ落ちるように降りてきた夫の一声。

「一次面接に受かったよ!」あの彼の感激に満ちた表情は忘れられません。そしてその一週間後、ようやく今の会社から採用通知を頂いたのです。そして、そこからはジェットコースターのように早かった。半年はかかると思っていたビザは、2週間もせずに下りました。

 

そして今、私はここにいます。

 

何よりも最後までコツコツと頑張りぬいた夫に感謝です。私にはどんなに頑張ってもできないことでした。私は私の夢を夫に託したのです。頑なな岩のように何をしても上手くいかなかった硬直の日々。それでも信じ切ることです。できると思ったらできる。夢は思った瞬間に叶っているのです。そして、ベストなタイミングでそれはやってきます。それまでは、焦ることなく、なるようになるのよとお気楽に暮らすことかもしれません。人生は意味があるようで意味なんてなく、意味を求めるものでもなく、何をしてどう生きるかも真っ白で、どんな色を塗っても、消しても、混ぜてもあなた次第。ただただ楽しめばいいのですから。

 

ありがとう、ありがとう。

感謝だけは忘れずに。

 

読んでいただきありがとうございます。

Have a great day!

 

自宅の前の風景です。木々の香りを体いっぱいに纏う幸せったら!

1時間もかけて教会に歩いて行ったら中は公開されていませんでした。子供たちの怒り・・・